不思議でしょうがないのだが、
最近よく「アウトドアの人」と間違えられる。
そういう理由で、突然、よその会社の「炭おこし要員」として、花見に出席することになった。
毎日海で泳いでいてもなぜか日焼けしない僕は、逆に、昔は「インドアの人」によく見られたが、アウトドアorインドアという発想が僕にはなく、家の立地そのものがアウトドアであったというほかない。
どういうことかというと、小学校自体が「臨海」であり、かつ「林間」であったので、「臨海学校」「林間学校」なんていう特別なイベントが存在しなかったのだ。ずっと臨海学校で、ずーっと林間学校なのだから。
要するに「野生」なのかもしれないが、それにしても最近は、やたらと初対面の人には「アウトドアやってるんでしょ?」と言われる。といっても、育った家の立地そのものがアウトドアだと、とりわけキャンプなんか、しようと思わないので、したことがない。「キャンプ&バーベキュー」がアウトドアなのだ、という発想そのものが、僕には欠落しているのかもしれない。
そもそも、「アウトドア用品店」に行ったことがない。
(外で何か焼くときは、穴ほって木集めて100円の網だったのでバーベキューセットを使ったことがない。炭火の場合はブロックや、何よりそのへんの石を使用)
ここでもうひとつの仮説を立てたい。
「加齢とともにアウトドア指数が下がってくる」と考えてみるのはどうだろう。
「加齢」という言葉が適切でないかもしれないが、ある程度現代の社会生活に順応していく中で、通常は山を走り回ったりしなくなるものである。
そして、運動部だった人々も、運動しなくなってくる。
が、僕の生活はあんまり変わっていない。
それが、相対的に「年齢の割にアウトドア」というイメージを作ってるのかもしれない。
だとすると、今後ますます「アウトドアの人」と思われるようになるのだろうか。
もうひとつよく言われるのが「昔なにかスポーツやっていたでしょう?」「今もなにかスポーツしてますよね?」ということだが、
全くやっていない。
部活もブラバンで文科系で、強いていうと、犬の散歩で野山を走り回っていたことだけである。
今は無理であるが、崖とかを走って登るスピードはものすごい早かった自信はある。
が、それが「スポーツ」か?といわれると、違うような気がするのだ。
「スポーツやってる感係数」が、加齢に対して「アウトドア係数」と同じカーブを描くのだとしたら、僕は今後ますます、「スポーツマン」に見られるはずだ。(ほんまか?)
犬とそのへんの山を登るのに金はいらないし、
穴ほって枯れ木を集めて燃やしたら、バーベキューの台も、炭も、買う必要もない。
要するに金のかからないのは「スポーツ」「アウトドア」とは言いがたいのかもしれない。
ニュアンス的な問題だとは思うが、僕をよく知ってる人が僕に対して「アウトドア」「スポーツ」という概念を抱くことは、ない、と断定して良い。
じゃあ、僕のやってることは何なのか?
「アウトドア」とは、何をすることなのか?
考えなければならないことは、屋外(=アウトドア)で何をするかということである。キャンプ場に来てNitendo DSをやっている子どもも、「アウトドア」なのか?。
ごく普通にくらしている縄文人は「アウトドア」になるのだろうか?
「趣味:アウトドア」とは、どういうことなのだろう?
なお、
僕は屋外で肉とかを焼くこと数百回にのぼりますが、
「外で食うと美味しい」というのは気のせいで、焼肉屋で適切な火の量と適切な道具で焼くほうが絶対美味しいです。
|